人生Hard mode、心はEasy mode

様々な事を書き連ねます。ご縁に感謝。

理想の上司・・・

よくテレビなどで、あなたの理想の上司トップ10みたいな企画rがある。

 

皆さん夫々、歴史上の人物を挙げていたり、今活躍されている人を挙げていたりと、見ていて楽しい。

 

私にも理想の上司と思える人は幾人かいるが、今日はそれについて少々お話を・・・。

 

以前とは変わってきているが、私の理想の上司は3人いる。

 

武田信玄上杉鷹山(治憲)、そして中村主水である。笑

 

武田信玄のこんなエピソードが大好きだ。

 

彼の家臣団には、武田二十四将をはじめ優れた家臣が多くおり、その中に、岩間某という家臣がいた。

 

勇敢な家臣の中で、岩間は臆病者で知られており、戦ともなると『嫌だ!わしは行きたくない!』『死ぬのは嫌だ!』と駄々をこねる始末。

 

他の家臣が無理矢理連れて行こうとしても、必死に抵抗し二進も三進もいかない。

 

そういった一連の様子を見て、呆れた家臣達が信玄にこう告げた。

 

『御館様、岩間の奴は臆病過ぎて、何の役にも立ちませぬ。いっその事追放するか切腹をお命じになられては・・・』

 

家臣達の話を黙って聞いていた信玄は笑いながらこう言った。

 

『あい分かった。お主達の心配も最もじゃ。岩間の処遇はわしに任せよ』と。

 

それから、信玄達が戦に出陣する前日、信玄は岩間を呼び出してこう命じた。

 

『岩間よ、わしはこれより出陣する。留守の事一切を全てお前に任す。わしのおらぬ間、しかと務めよ』と。

 

信玄に無理矢理連れて行かされるか、さもなければ切腹か追放されるかもと怯えていた岩間は感激し涙を流しながら『ははっ!全てこの岩間にお任せくだされ。留守をお守りいたしまする!』と答えた。

 

その様子を見ていた信玄は、にこりと笑い『頼むぞ』と一言告げて場を去った。

 

それから暫くして、信玄はじめ戦に出ていた者達が帰還した際の事・・・。

 

何やら様子がいつもと違う。

 

留守をしていた者達の動きがキビキビしており、館(躑躅ヶ崎)の隅々まで綺麗に清掃されていたのだ。

 

戦に行っていた家臣の一人が驚いて、留守をしていた家臣に訊ねたところ・・・。

 

『岩間様が大変厳しく、またしっかりと指示を出してくださったので、皆怠ける者もおらず、仕事をこなせました』という。

 

それを訊いた家臣達が信玄に、この事を伝えた。

 

すると信玄は『よいか、人にはそれぞれ良いところがある。一見すると役に立たぬと思えるような者でも、必ず良いところがあるのじゃ。それを見出して、その者が己の力を活かせる場所に就かせるのも大事な事なのじゃ』と言った。

 

この話を聞いた家臣達は、『御館様は、そこまで考えておいでであったか』と感動し、より励むようになったという。

 

このエピソードを聞いた時、流石だなと感じた。もし自分があの時代にいたら、信玄に仕えていたと思う。また、彼は今で言うところのフレックスタイム制度を導入していた事でも知られる。先見の明があるなと思った。

 

上杉鷹山は、米沢十五万石を蘇らせた名君として有名であるが、財政再建の方法とか現代でも充分に通用するものがあると思う。

 

上杉鷹山・・・、アメリカ第35代大統領であった、ジョン・F・ケネディ氏の尊敬する人物としても知られている。日本の新聞記者が『あなたが日本で最も尊敬している人は誰ですか?』と質問された際に、彼はこう答えたという。

 

しかし、日本人新聞記者が上杉鷹山の事を知らなかったらしい。

 

最後に、中村主水。彼は必殺仕事人というドラマに出てくる、架空の人物であるが、こういう人の下で働くのも楽しいだろうなと思っている。

 

確かに仕事をサボったりして、こちらに『おうっ!後は頼むぜぃ』と丸投げして帰りそうな感じではあるが笑、ああいう飄々として煩くない人は、一緒にいて疲れないだろうなとも思う。

 

また能ある鷹は爪隠すではないけれども、裏の仕事は絶対に手抜きをしない、そんなギャップもかっこよく感じる。笑

 

まだまだ言い足りない事はあるけれども、長くなりそうなので、また機会があれば。笑

 

信玄の話が殆どを占めた。笑

 

とにかく上記の三人は私の理想の上司である。

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