変える力
力を律することができるかどうかだ、その器量がなければ去るほうが良い。
毎日、ブログを更新することを目標にしている。とにかく、このブログを形にしていかなければ、始まるものも始まらないからだ。
何事もそうであるが、一つのもので成果を出すというのは簡単なことではない。
大抵の場合、結果ばかり求め焦り、途中で諦めてしまうパターンが多いだろう。
さて、今から数年前の話になるが、異動を伝えられた時に、当時の上司から言われた言葉は、今もって忘れてはいない。(私はもうそこを退職しているが)
絶対に許せなかった。殺してやろうと本気で思ったことも幾度もあった。
何とか堪えて、自分を殺して我慢をし、慣れない場所でひたすら耐えて、何とか出て行くことができた。
自分では怒り、それもとてつもなく大きな怒りだと思っていたのだが、それは怒りではなく恨みだった。恨みの力が自分を動かしていた。
その時の私は、『辛い仕打ちに耐え、怒りを力に変えていける』などと、少々悲劇のヒーローぶっていた節がある。
実際は全く違ったのだから、それこそコメディでしかない。
ようやく、怒りというか恨みが完全に収まったのは、最近の話である。正直な話、自分の精神状態を落ち着かせて、再び前を向いて歩いていけるようになるまでに、相当の時間を要した。
私の師が以前、『怒りは力に変えることができる』と仰せになっていた。
逆説的?に言うなればそれは、『変える力がなければ、呑み込まれてしまうよ』ということだと思う。
昔は理解しがたかったが、色々と経験、学ばせてもらっている内に、ようやく少しではあるが理解できるようになってきた。
人間であるから、常に前なんて向いて歩いてはいけないだろうが、まだ出会っていない人、出来事、経験等が待っていると考えれば、期待感が否がおうにも増してくるのである。