気力とか精神力とか
いつまでも昔のやりかたに固執しては先に進めない。
精神論や根性論で物事を語るのは、もう前時代的で古いといわれている。
一昔前までは『気合で何とかしろ!』とか『そんなものは根性で乗り切れ!』とかいう説がまかり通っていたが、今では通用しない。
もちろん、ここ一番という時や粘りどころの場合は気力がものをいうから、私は精神論的なものを全て批判しているわけではない。
ただ、それのみを強調し突き詰めていけば、非合理的で非科学的、何の道理や根拠すらない荒唐無稽な理論ができあがってしまう。
現代は時間の流れが早い。物事ほぼ全てのスパンが短くなっている。
今日出てきた新しいことであっても極端な話、一週間もすれば古いものへと変わってしまっていることも十分に有り得る話。
次から次へと情報を手に入れ精査し、無駄を省き、合理的に進めていかなければ、あっという間に取り残されてしまう。
全くもって情緒の欠片すらない感じであるが、これも時代の流れであるから仕方がないことだ。
昔は情報量も今ほど多くなく、時の流れも緩やかであったから、多少の差はあってもほぼ横並びの状態が続いていたと思う。
しかし、インターネット等が普及し始めてからというもの、恐ろしいほどの早さで、情報が氾濫し始めた。それをいち早く察知し、新しいビジネスへと繋げていった人がいる。
ユーチューブなどで登録者数何百万とか、そういうとてつもない人がいるが、そういう人はまさに典型的な例だろう。
こういうのはセンスや先見性が問われると思う。気合や根性でどうにかなるものではない。
一発当てることを夢見て、ユーチューブを始める人が多いと聞くが、大体は途中で挫折していくそうだ。
増えない再生回数、登録者・・・。
私もチャンネルを開設しているが、約4年でようやく登録者が400名を超えた状態である。
まぁ私の場合は趣味でやっていて、そこまで凝った動画編集はしていないから、これが妥当であろう。
最初から『必ず成功してやる!』と意気込んでは駄目だ。
そうではなくて、例えば『これもしながら、生きていく』という思考のほうが上手くいくと聞いた。ポイントは『これを』ではなく『これも』である。
勘違いしてほしくないことは、なにも『目標を持つな!』とか『夢を持つな!』とか『なりたいとか思うな!』などといっているのではない。
夢や目標は大いに持つべきだ。
ただ、それを成すには相当の努力がいるし(ここでは意志の強さや気力が大切になってくる)、それに至る道には様々な方法があるから、決して思考が固まってはいけない。