反骨の相
こう見えても、実はかなりの歴史好きである。
シュミレーションゲームも、コーエー(現コーエーテクモ)の信長の野望や三国志シリーズは、かなりプレイしてきた。
私が活字に触れだしたのは高校生からで、歴史小説を読み漁っていた。
氏の三国志は三国志演義に、自身の解釈を加え、類まれなる創作力から生み出された、吉川三国志とも言える。
さて、私が今よりも大分若い頃の話。
とある人が、私の人相を見てこう言った。
『あなたの相は、反骨心溢れる相ですね』と。
その時は、そうなんだなぁぐらいにしか思わなかったが、後になってから、ふと三国志の事を思い出し、その中に登場する魏延文長が頭に思い浮かんだ。
確か彼は、諸葛孔明から『反骨の相があり、将来いずれ裏切る』と評された、曰くつきの人物であった。
しかし劉備に大抜擢され、現代で言えば中途採用者ではあったが、大いに活躍し蜀建国に貢献した。
劉備は将としては情けない面が多々あり、何回も惨めな思いをしてきたが、不思議な事に人を引き寄せる魅力だけは抜群にあったので、義弟の関羽や張飛、趙雲や諸葛亮等といった錚々たる面々が彼の傘下に加わっていった。
また、人を見る目があったようで(この点では諸葛亮よりも上かも知れない)、彼に見出され、以降活躍して出世したという人物は多くいる。
魏延も、そんな中の一人であった。
三国志の人物の中で、誰が一番好きか?と訊かれれば、私は『趙雲!』と答えてきたが、今では魏延になっている。
と言うのも理由がある。
魏延の評判が悪いのは、あくまでも演義の影響であり、演義は劉備や諸葛亮を主役として描いている節がある。
そんな彼が、超人的な活躍をする諸葛亮に裏切りを働いたというような展開としているので、その影響が後世まで長く残っている。
私が見るに、魏延は実のところ、諸葛亮よりも何倍も優れている面がある。
諸葛亮は、行政官的な手腕には長けていたが、戦略や戦術面においては疎かったと思う。一軍を率いて戦うタイプではない。奇抜なアイデアを好まず、保守的で堅実な方策を好んだというのもあるかも知れないが、とにかく魏との膠着状態を打開できなかったのは事実だ。
結果、徒に時間だけを浪費して、最後には過労死してしまうという、ひとかどの人物にしては可哀相な最期であった。
相手が強い場合や守備が堅い場合、従来どおりの方法では絶対に打開できない。
そんな時はただ一つ、奇襲が一番効果的なのだ。(私の好きな作家のかたで、元軍人のかたがおられるが、そのかたも奇襲が効果的と言われていた)
魏延は、魏を揺るがし脅かすには奇襲が一番だと百も承知しており、長安を自身が別働隊を率いて衝くという案を、諸葛亮に献策していた。
しかし、冒険を好まない諸葛亮により、渾身の献策は却下されてきた。
他にも様々な案や策を献策していたと思うが、それも駄目。
そんな事になれば、『丞相が臆病だから、私の策を取り入れてくれない』と愚痴を言いたくなっても仕方のない事だ。
誇り高く、戦略・戦術面に長けていて、士卒をよく養っていた魏延は、将としては抜群の才の持ち主だと思う。
最後は、諸葛亮の名を受けていた馬岱に斬られ死んでしまったが、惜しい事をしたと思う。
私も、魏延のように誇り高く生きていきたいと思った。
※記事の最後に、今まで自分が書いてきた、詩、贈る言葉を書いていこうと思います。 自分の初書籍は、こういったものの作品集でした。懐かしいです。笑
【今日の詩、贈る言葉】
薄皮一枚であっても
一皮剥けたらな
それは大きな成長だよ