世界が崩壊して久しい。
その街には、かつて文明の象徴だった高層ビルが、まるで巨大な墓標のように沈黙してそびえ立っていた。壁のひび割れからは錆びた鉄骨がのぞき、割れた窓ガラスに吹きつける乾いた風が、どこからともなく低い笛のような音を響かせている。
そんな灰色の街の片隅に、ひとりの少女がいた。
名は──まだ“ドミノ”ではない。誰も彼女をそうは呼ばなかった。
彼女はよく、崩れたビルの屋上に登っては、空気の流れと街の音をじっと聞いていた。遠くで軋む鉄骨、割れた窓を抜ける風、地下に響く人々のざわめき。普通の人間には雑音にしか聞こえないその音を、彼女は一つひとつ聞き分け、頭の中で地図のように組み立てていく。
ある日、彼女は廃墟となった放送塔に忍び込んだ。
電源はとうに落ち、機材はほこりをかぶっている。だが、壊れたアンテナの根元からはかすかなノイズが漏れ出していた。彼女はそれに気づき、迷いなく機材をいじり始める。年齢に似つかわしくない手際の良さ。配線の傷み、コンデンサの劣化、送信機の残留電力──まるで何年も扱ってきたかのようだった。
その時だった。
ザーッというノイズに混じって、かすかに誰かの声が流れたのだ。
『……こちら……生き……いる者……』
途切れ途切れの音声。しかし、確かに“誰か”が向こう側にいる。
彼女は息を呑み、耳を近づけた。胸の奥がざわついた。今まで聞いてきた街の音とは違う──これは、“世界の向こう”の声だ。
その夜から、彼女は放送塔に通い詰めた。雑音の中にわずかに混じるパターンを聞き分け、解析し、どこから発信されているのかを想像する。廃材を組み合わせて簡易的な受信機を作り、夜通し、暗闇の中で耳を澄ませた。
街では、飢えた者たちが物資を奪い合い、夜になると銃声が遠くで響く。だが、彼女は生き延びる術を本能的に身につけていた。音のわずかな違いから敵の足音を先読みし、裏路地をすり抜け、追手を撒く。無口で、目つきが鋭く、誰も彼女に近づこうとはしなかった。
それでも、放送塔に響く“声”だけは、彼女にとって唯一の希望だった。
声は途切れ、また現れ、ノイズの海の中で灯のように揺らめいている。
──世界のどこかに、まだ人がいる。
──この沈黙は、永遠じゃない。
彼女はその夜、初めて心に誓った。
「いつか、自分も“声”を届ける側になる」と。
風が吹き抜ける屋上で、彼女は崩れた街を見下ろした。
その瞳は、灰色の夜の中で不思議な光を宿していた。
まるで、未来の放送塔が、そこに建つのを見ているかのように──。
